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2026年9月2日 : 米を喰わなくなった結果、日本人はこうなった!
江戸時代まで日本は、米を中心とする社会を築いていた。年貢、いわゆる税金も米で徴収し、米を信用通貨としていたのが江戸時代だった。それは、江戸時代の人達が、米を中心とした食生活を送り、米を生命の糧とし、生活の中心に米を置いていたからに他ならない。
現代でも人気を博している大相撲も、起源は米作りにある。土俵作りは田んぼの硬盤作りが由来になっているという。田んぼはやわらかい土の下に硬い土があるのだが、この硬い土を硬盤(こうばん)という。この硬盤を体格のいい、大柄な男衆が、まるで土俵を作るかのように大きな俵を使って作っていた。より良い硬盤を作るために、また全国に米作りを広げるために、大柄な男衆はより力をつける必要があった。そこで誕生したのが相撲だった。相撲で競い合い力をつけることが、全国に米作りを広げる大きな力になった。
大相撲が神事であることの所以は米作りに端を発しているからに他ならない。
江戸時代までは藩の財政は石高(こくだか)を基準にしていた。加賀百万石は有名であるが、加賀藩は百万石の米を収穫できたということだった。一石(いっこく)は、一人一年間養える米の量をあらわしていた。一石は現代では約160キロにあたる。江戸時代までは一人が一年で平均して160キロの米を食べていたというのがわかる。
現代はどうだろうか。現代人は一人平均してどれくらいのお米を食べているのだろうか。計算の仕方で諸説あるのだが、現代は一人平均約50キロほどといわれる。江戸時代から見たら1/3以下である。
いくら重労働から解放されたかといってこのお米の量では力がでない。お米の代わりに小麦のパンや麺(ラーメン、パスタ、うどん等)を食べている。それも外国産の小麦ばかり。さらに江戸時代ではほとんど口にしていなかった砂糖や人工甘味料を現代人は普通にしていると毎日食している。
現代の日本人は日本で作られた米よりも、外国で作られた小麦や飼料を元にした食物を食べていることの方が多くなってしまった。食料自給率38%というのはそういうことだ。
その結果、日本人はどうなってしまったか。
平均寿命を延ばしているのは、日本の伝統食を食べてきた戦前、戦中、戦後直後の人達である。高度経済成長期以降の人達は、コメ離れが進み、西欧化した食生活がすっかり板についてしまった人が多い。
生活習慣病は定着し、死因の第一位はガンである。糖尿病もある年代に行ったらほとんどの人が罹っている。アトピー・アレルギーもすでに国民病と化している。糖尿病はコメ消費が減りながら増えているのに、糖尿病の原因をコメにしているのだから不思議だ。
日本人は米を喰わなくなった結果、病気が多発した。病気が多発しただけなく、出生率も低下し、人口減少社会に突入している。米を中心とした食生活をしていると、食品添加物など不自然な食を口にする機会が減る。日本は世界一の食品添加物大国であるから、現代の普通の食生活をしていると、食品添加物を大量に口にすることになってしまう。
現代では発達障害の子ども達が増えているのも、米離れが一つにあるのではないかと私は考えている(発達障害はワクチンの影響がより強いという説もあり、私もその説にも同意している)。(つづく)
2026年8月20日 : 米を喰うとバカになる?
日本の義務教育では給食が支給されるのだけど、この給食が日本の事情をよく表している。
私は昭和51年生まれで、団塊ジュニアの少し下の世代になり、同級生は多く、給食の時間は賑やかだった。私が小学生の時は土曜日も授業があったが、土曜日は半日で授業が終わったから、給食は月曜から金曜までの週5日だった。その内の2日は小麦のパンで、3日はお米のごはんだった。3日のお米のごはんの日には時々(月に1~2回くらいだったか)うどんやラーメンなど小麦の麺のこともあった。そして、週5日、米だろうが麦だろうが関係なく、必ず牛乳がついた。
わが家の子ども達が学校からもらってくるひと月の給食献立を見ると、この給食の形は令和の今でも同じように続いている。
学校給食はそもそも、戦後の食糧難時代に米国の余剰農産物の格好の消費者として日本の子ども達が標的となった。もちろん、食糧難時代には背に腹は代えられないところはあった。しかし、戦後復興してもなお、日本の伝統食に帰ることはなく、西欧型食生活を普及しているかのような給食が日本の公立学校では続いてきた。
太平洋戦争で日本は無条件降伏という形で戦争を終えた。この無条件降伏が今の今まで続いているような気がしてならない。米国にNOを突き付けた政治家たちが政権で活躍できない様を見ていると、日本の命運は未だ米国に握られているのではないだろうか。
給食の牛乳だけでなく、一般家庭でも牛乳が信仰されたのは、日本の栄養学が米国の肝いりで行われたことの証左である。1954年に制定された酪農振興法も、栄養学的には牛乳や肉食の普及で体育向上を目指したのであるが、政治的には米国の飼料穀物の一大消費を確立するための法整備であった。
戦後の日本人の食生活は官民挙げて、米から麦へ、菜食から肉食への大転換が行われた。日本の学者では「米を喰うとバカになる」とばかりの論陣を張った者まで現れた。人類の歴史の中で、これほど短期間に食生活が変わった国はない。それも、改善ではなく、改悪されたことは何を物語るのであろうか。
減反政策もそういう観点から見ると、米国の市場拡大に即したものであった。令和の米騒動も、結局のところ、コメ価格の上昇からコメ離れが加速した。私たちは知らず知らずのうちに今もまだ伝統的な食生活から遠ざけられているのかもしれない。
戦後の食生活の変化は日本人の体質を根本から変えてしまった。この食生活の変化の裏側には米国の思惑が大きく関わっている。鈴木猛夫著『アメリカの小麦戦略と日本人の食生活』(藤原書店)にはその詳細が述べられている。(つづく)
2026年7月8日 : はじめ塾(市間寮)での半断食
神奈川県山北町にある市間寮(はじめ塾の山の家)での半断食はもう10年以上続く夏の恒例行事である。10年以上というのは私が関わり出しでだが、その前は故田中愛子先生が玄米合宿と称して市間寮(はじめ塾)で指導されていた。愛子先生の晩年の数年間ははじめ塾で私も一緒に食養指導をさせていただき今でも深い想い出になっている。
はじめ塾は言わずと知れた生活から生命力を高める生活寄宿塾である。思春期の子ども達が塾長夫妻(和田先生夫妻)と生活を共にし、生活の中から心身を整えている。
はじめ塾では毎夏、山の家で合宿をしている。夏休みの最初に半断食などで体を整えて、夏の合宿が始まる。子どもたちだけでなく、大人の単独参加も受けており、老若男女の賑やかな半断食となっている。
どんなことでも、はじめが肝心である。最初につまずくと、途中で修正するのはなかなか大変である。私は生まれた時、仮死状態で生まれているから、本当に人生の最初のはじめにつまずいて、その苦労を人一倍味わった。だからこそ、はじめが肝心ということが痛いほどわかる。
はじめが肝心であるが、最初からつまずいたり、途中でつまずいても、やり直す方法はいくらでもある。マクロビオティックには人生を立て直す術がたくさん詰まっている。むしろ、つまづいたからこそ気づくことは多い。湯飲み茶わんをひっくり返してちゃぶ台が汚れてしまっても、そこを念入りに掃除したら、ひっくり帰る前よりもキレイになる。マクロビオティックや半断食はそういうものだと思う。
市間寮(はじめ塾)での半断食に参加した方々からの感想を紹介する。
半断食と聞くと、お坊さんがやっているイメージで、今まで少し抵抗があり、やってみる一歩が踏み出せませんでした。しかし、最近、アトピーを本気で治そうと思い、体の中の毒がぬければ少しは良くなるかなとおもい、参加しました。実際やってみると、お腹は減るし、すごく眠くなるけど、考えていたよりずっと大丈夫でした。
ただ、200回も噛んでいると、途中から何を食べているのかよく分からなくなり、飲み込むのも一苦労でした。振り返ってみると、今までよく噛まずに食べていたなと思います。
また、磯貝先生がお昼の時「アトピーで自分の体についてよく考えるようになる」とおっしゃっていて、確かに、アトピーでなければ、皮膚と腸の関係や半断食になんて目を向けなかったとおもいます。アトピーを今までのように、ただ嫌なものだと考えずに、少しは有難うと感謝できればいいなと思います。
たった3日で変化がでたのかはわかりませんが、今回の合宿で自分のアトピーに対する考え方を変えることができたので良い経験となりました。(中三女子)
今回の半断食合宿はとても不思議な体験をしました。去年もこの合宿に参加しましたが、その気にならなかったから、とてもお腹がすきました。でも今回、その気になってやったらとても楽しく3日間を過ごすことができました。「気がえ」をしてやったらいろんなことを楽しくやることができてよかったです。
例えば、お粥を100回噛むことがとても楽しかったです。噛むごとにいろんな味が出てきたので、噛むことは大切だなと感じました。そして驚いたことは、とても胃が縮んだことです。3日目の昼ごはんのバイキングで、いつもだったら食べられる量のご飯が今回はお腹がいっぱいになり食べられなかったのでビックリしました。次に断食をやる時は一週間くらいしたいです。(中学生男子)
2026年6月22日 : 一宿一飯の継承
「大森先生も食べるんだ!」と驚いたという。PU談義(陰陽の話し)がしたくて、アポなしで大森の自宅を訪ねたという男性が少年のような笑顔で語ってくれた。突然の来訪にもかかわらず、大森夫妻に快く受け入れてもらい、夕食までご馳走になり、さらに夜を徹してPU談義をしてくれたという。もう30年も前のことである。
この男性は20代からマクロビオティックに熱中し、空けても暮れても陰陽思考にハマってしまった。桜沢亡き後の日本でのマクロビオティックは、大森が牽引していた。マクロビオティックの世界では大森は仙人のように崇められていた面が少なくなかった。私もその一人だったから、大森に会う前には精進潔斎しなくてはならないと考えて、私も長期の断食をしてから大森に会いに行ったのを想い出した。
私と同じような想いをしていた男性が、大森が食事をするのを見て、思わず「大森先生も食べるんだ」と思ったという。
そんな男性が、年を重ね、仕事をリタイアし、マクロビオティックの世界に恩返しがしたくて、私の元を訪ねてくれた。アポありで!
一宿一飯の恩義というものは大きい!それも憧れの食養の大家ならなおさらだろう。マクロビオティックはそういった人達の想いの積み重ねではないかと思う。
大森が亡くなって20年にもなる。桜沢が亡くなってからは60年だ。その間、どれほど多くの人たちがPU思考で人生を切り開いてきたことか!
恩師の石田英湾も黄泉の国に行って15年になる。ある時、石田の墓参りに行って、石田家の墓石の隣を見たら、なんと数日前に私のところに食養相談に来た家の嫁さんだった。石田先生もあの世に行ってまで、マクロビオティックの普及をしてるんだ!と驚いた。
大森の一宿一飯、徹夜のPU談義に感激した男性が訪ねて来てくれたのも、元を辿れば、先達の方々からの想いではないかと思う。
石塚左玄が遺した食養もそうである。幕末という激動の時代に、西欧の価値観に席巻されつつある世にあって、日本の伝統的な養生法を残さなければならないという想いがマクロビオティックの根底にある。桜沢は石塚左玄を「精神的武士の最後の一人」と称したのは、江戸まで続いた自尊自立の生活法を継承した功績を讃えてのことである。
現代の医学は患者を奴隷にしている。思考を止め、判断を鈍らせ、決断は病院の思いどおり、というのが一般的だ。医学だけの問題ではない。教育が自尊自立をないがしろにしている。
桜沢の生き方は、自学自習、独立独歩、無位無官、というものであったと思う。桜沢はよく「専門化するな!」と多くのところで書き残している。専門家するということは、ある面において奴隷化するということでもある。
マクロビオティックは多面的である。オシャレなマクロビオティックもあれば、そこはかとなく泥臭いマクロビオティックもある。世界を股にかけるマクロビオティックもあれば、土に根ざして土を喰らうマクロビオティックもある。所変われば品変わる、というものである。
マクロビオティックも人から人へ伝わるものである。マクロビオティックを学ぶにはマクロビオティックで生きている人に触れることだと思う。
2026年5月11日 : 都市と農村
「腸が健康の元」という考えが一般的にもかなり浸透してきた。腸内には1キロ以上もの腸内細菌が棲みついているといわれる。腸内細菌はビタミンやミネラルの合成に関わるだけでなく、様々なホルモンの生成にも大きな役割を果たしているという。さらに腸内細菌が多数棲みつく小腸の絨毛は、絨毛表面に免疫細胞と神経細胞が密集していて、腸内細菌の数は、免疫細胞と神経細胞の数に比例している。腸内細菌の数が多いほど、免疫力が高く、自律神経が安定的である。
日本の農村とカナダの都市の人々の腸内細菌叢の数を比べた研究がある。ほとんどの細菌がカナダの都市の人々よりも日本の農村に住む人々の方が多いという。都市と農村の生活環境の違い、食べ物の違いとはどんなものだろうか。
まずは土に触れる頻度や割合は農村の方が多いだろう。土壌細菌と腸内細菌は連動しているようだから、土に触れる機会が多いほどに腸内細菌は活性化するようだ。さらに水の質も大きな影響がある。日本を含めた多くの先進国は水道が普及している。水道水は塩素殺菌が常だが、下流に行けば行くほど塩素殺菌は強力になる。この塩素殺菌された水道水をそのまま飲むと腸内細菌まで減菌、滅菌させられてしまう。
土に多く触れ、塩素殺菌されていない水を飲んだり料理に使うことは腸を元気する大事な生活だ。都市生活で毎日、土に触れることはなかなか難しい。休みの日にはなるべく土に触れたり、連休の取れる時には田舎に行って土に触れることは実はもの凄く大事なことだと思う。自然豊かな海や山に行ってキャンプすることもいいだろう。風土というように、土壌細菌は風によって各地を舞っているから、自然豊かな土地に行ってそこの空気を吸うだけでもいい。和道でも田植えや稲刈り、田んぼの草とりなど土に直接触れる体験学習もやっている。
そして、何より食べ物だろう。自然食ブームはもちろん都市から発生している。自然から離れた食と生活をしている人々の本能が食を自然なものへと向かわせたのだ。食が自然であるかどうかは、食物が多様な細菌を有しているかどうか。発酵食品はその代表だ。
ある細菌学者は、日本人の腸内細菌が弱くなった大きな理由に冷蔵庫の普及を第一に挙げていた。冷蔵庫の普及で発酵食品を食べる頻度が減ったことと、どんな食品も冷蔵庫に入れることから、食品に付着する細菌が活力を失ってしまったのだ。日本は四季折々、寒暖差のある環境(風土)だ。夏は湿度が高く、温暖で、細菌には最高の環境だ。世界で一番多い腸内細菌を有していたといわれたのが昔の日本人。日本人は日本の風土に合った食と生活をしていれば、もの凄い生命力が宿るのだ。
しかし、どこでどう間違ったのか?これも宇宙の計らいなのか?
いやいや戦後のある国からの戦略が大きいのだが、今の日本人は本来の生命力が影を潜めている。その反動として現代では多くの病気が発生している。病は健康を取り戻そうという命の本能だ。命の本能に逆らわず、病は生命力を高める有難いものと考え、生命力を高める食と生活に励むことが、自らの健康だけでなく、日本や世界の平和につながることである。