先日、久しぶりに赤ちゃんとじっくり触れ合う機会があった。健康な赤ちゃんを見ているとホントにシンプル。お腹が空いたとき、眠い時、ひとりで淋しい時、おしめが濡れた時、赤ちゃんが泣く時は本来、これだけである。お腹が満たされていて、眠くなく、周りの人たちと楽しく遊べて、おしめがきれいだったら、赤ちゃんはニコニコしているものである。
食べて、寝て、遊び、排泄することが命の根源であるのだが、大人の生きている社会はずいぶんと複雑怪奇なモノへと変容してきた。食べて、寝て、遊び、排泄するというシンプルな生活からかけ離れ、仕事をする、税金を納める、人間関係に悩む、病気に悩む、お金に困るなど、大人の問題は数えがあげたらキリがない。
さらには、食べて、寝て、遊ぶ、排泄すること自体が順調にいかない人がいかに多いことか。摂食障害、不眠症、人間関係に悩む、排泄障害も陰陽さまざまある。
本来はこの4つはすべて気持ちの良い、悦びに充ちたものである。食べることの喜び、寝ることの気持ち良さ、遊ぶことの楽しさ、排泄することの快感、人間は本来、知っているはずである。それがいつの間に、苦痛に変わっていってしまうとは一体ナゼなのだろうか。今では子ども達でさえ、本来はよろこびに溢れた4つの生理活動が苦痛に感じる子もいる。
子どもでさえ、この4つの生理活動がうまくいかないということは、今の社会が命の本質から乖離していることを、如実に示している。この状態が続くということは、人間から組織まで完全な疲労を起こしているのではないかと思う。制度疲労を起こしているといってもよい。不登校の子ども達が増え続けているということもその表れのひとつだろうと思う。
陰陽というメガネで見ると、陰は陽になり陽は陰になるのが自然な流れである。疲労を起こしたものは必ず休息に向かう。今は、人間から組織まで、十分な休息が必要ではないかと思う。休息の根幹は、五感を休ませることである。胃腸と脳をゆっくり休ませることである。
夜は必ず明けて日が昇るように、私たちの体と心もしっかりと休むことができたら、元氣を取り戻すことができる。私は20年以上食養指導一筋にやってきたけれど、胃腸がしっかり休むことができたら、生命力は必ず復活する。胃腸を休めて生命力を回復してきた人たちを数多く見てきた。断食や食養は、胃腸を休めて生命力を回復させるのだ。
そして、もっと大事なことは、これからは生命力が喜ぶ社会を作っていくことである。断食や食養で生命力を回復させても、その後にまた疲労感満載の社会に戻っていくのであれば、まさにいたちごっこ、また同じことの繰り返しである。
子どもの遊びに疲労がないように、学業も仕事も、充実感のある疲れはあっても、疲労がないような生き方でなければ、社会は続かないだろうと思う。理想的な絵空事ではなく、本当に生命力が湧いてくるような働きを探求していくことである。桜沢如一は「好きなことを心ゆくまでタンノーするのが人生」といって、それを自身でも実践した人である。私もそれにすっかりほだされて、そんな人生を歩んでいる。お陰様で365日、休むということはないけれど、ホントーに疲れをしらない。
不登校になっている子ども達だけではない。家に引きこもっているニートと呼ばれる人たちだけではない。多くの子どもと大人が、イキイキと生きていけるそんな社会を実現するには、やはりその国の伝統的な食べ方と生き方をもう一度見直すことである。「食が正しければ人もまた正しい」食養の開祖・石塚左玄の言葉である。食養という伝統的な食生活に変わっていくことが生命力を復活させて、新しい世界への大きな一歩になることだろうと思う。