マクロビオティック運動

 マクロビオティックの普及活動を「玄米運動!」と大森英桜はよく言っていた。白米、白パン、白人崇拝の戦後にあらがい、玄米という、蒔けば芽が出る「ホンモノの食」の普及に大森は命をかけていた。日本で生まれた玄米運動というマクロビオティック活動は桜沢如一が世界に普及し、その情熱に感化されながら日本でもマクロビオティックが深化し、普及されてきた。
 マクロビオティックの活動をぐるりと見渡してみると、その基本となるものに自然農法の普及がある。「食なきところに生命活動なし」「食は神なり」と桜沢如一はいった。近代化された農業から作られる野菜は野菜(野性的な菜)ではなく、畑菜と桜沢はいったけれど、野性的な生命力を宿すような野菜作りを追求してきたのが自然農法ではないかと思う。
 この自然農法の普及に大きな力を発揮したのが、世界救世教の岡田茂吉であり、無為自然をいった福岡正信である。彼らの提唱する自然観は、桜沢如一の宇宙観(宇宙の秩序)が基本になっているのではないかとさえ感じられる。
 マクロビオティックの普及活動の根底に、自然観・宇宙観が共通する同志に支えられてきたという現実がある。
 そして、桜沢亡き後のマクロビオティック活動で最も敬意を払わなければならないのは、桜沢リマ夫人であるだろう。マクロビオティックを長寿法という一面を遺してくれたのがリマ夫人である。リマ夫人の100才の生誕祭には世界各国から多くの方々が祝辞に来られた。そして、リマ夫人の遺したリマ・クッキングスクール(現在のマクロビオティック・クッキングスクール・リマ)は「玄米運動」の根幹である玄米の炊き方から、マクロビオティック料理の調理法を進化させながら普及している。
 マクロビオティックに出会う人たちの多くが病気治しからという面は多い。かくいう私も、私の家族も、病弱であったお陰でマクロビオティックに出会った。食養の系譜という資料があるけれど、石塚左玄からはじまる食養指導家の方々は大なり小なり自身の病弱さを食養によって回復された方が多い。
 戦後の日本、殊に桜沢如一なき日本(1966年以降)のマクロビオティック活動のトップランナーは大森英桜ではないかと思う。桜沢の宇宙観を深化させ、食養指導を進化させた。大森の食養指導は陰陽無双原理を臨機応変に活用し、どんな病気に人にも対応できる「五つの体質論」を確立させた。さらに、桜沢の提唱した七号食(ナンバーセブン)を病気別に応用したのも大森の特徴ではないかと思う。
 桜沢は生前からクラックス(無双原理問題集)という問題で、後輩たちを刺激し続けてきた。晩年、マクロビオティックを活用したエネルギー、農業、医学の各方面での進化を後世への遺言としている。その医学の面において進化させたのが大森である。大森を名誉会長にして発足したのが宇宙法則研究会(1995~2016)であった。
 私は1996年から宇宙法則研究会(略して宇宙研)の活動に参加した。大森の妻の一慧(1933~)石田英湾(1936~2010)、国清拡史(1947~)、伊藤誠(1944~2023)、鈴木英鷹(1957~2012)らが大森英桜を囲んで発足した会であった。
 宇宙研での活動は、まさにマクロビオティックを医学の面で大きく発展させた。講師陣総勢で取り組んだ半断食(七号食の応用を含めて)の中から無塩食(後に塩断ち)が生まれた。
 古今東西あらゆる医学に陰陽両面があるように、命に向き合う医学は危険も伴う。七号食(桜沢は七号食を断食という)や塩断ち(一時的な無塩食)も取り組む人の体調をよく観察しながら実践することが大事である。登山と同様、断食も塩断ちも登りがあれば下りがある。断食も塩断ちも終わると旺盛な食欲が出てくるようでなければならない。食欲は生命力だから、旺盛な食欲が出てくるような断食や塩断ちを実践することである。
 食養指導を通して、中庸というものがいかに大切であるかということを思い知らされる。桜沢は「嫌いな人に出会ったことがない」というが、これがまさに中庸ではないかと思う。「中庸に好き嫌いなし」
 桜沢の著書の中からはほとんど「中庸」という言葉はみつからない。ほとんどというのは、私は桜沢の著作を完全に覚えていないので、もしかしたらどこかに中庸という言葉があったような気もする。
 しかし、桜沢のいう健康の七大条件も、判断力の七段階の最高判断力も、自由で健康で平和な生き方は、陰陽の偏りなく、それでいて陰陽を大きく孕んだ中庸な状態ではないかと思う。サトリというのも中庸ではないかと思う。
 この中庸に至る道がマクロビオティックの食と生活ではないかと思う。
 桜沢如一にはリマ夫人をはじめ、多くの弟子がいた。米国やヨーロッパで活躍した久司道夫、南米で活躍した菊池富美男、日本で活躍した大森英桜、他にも数多くの弟子たちが食養指導を通してマクロビオティックを普及した。
 私は大森英桜の最後の弟子にあたるのだけど、師の大森の活動をまじかで見ながら、自分の活動の至らなさを痛感する。桜沢は「キリストの教えは2000年、釈迦の教えは2600年、空海も法然も親鸞も千数百年教えが続いているが、マクロビオティックはさて何年続くか」というようなことを書き残している。
 私も食養指導を通してマクロビオティックを細々と継承しているのだけど、この食養指導を後世に残さなければならないと思う。マクロビオティックや陰陽無双原理は実用弁証法である。弁証と実用も陰陽であり、この陰陽が調和してはじめて後世に残るものであると思う。この実用ということが食であると思う。
 病気は宇宙の秩序、自然の摂理の発現そのものであるから、自然に沿うことで病が快癒されるその術がマクロビオティックの食であり生活である。私はマクロビオティックの世界に関わり30年、食養指導25年、1万人以上の方々に食養指導で関わってきた。大森の遺した「五つの体質論」が私の食養指導の基礎になっている。「五つの体質論」を活用すれば(複合型など、細かく見るともっと多くのパターンになるのだが)、どんな病気にも対応できる。この経験を次の世代に残していきたいと思う。
 大森は「たった一人でいい。たった一人無双原理を理解する人が残れば、繋がっていく」といった。ダレもがそんなたった一人であれば、一粒万倍、マクロビオティックは残り、そして広がっていくだろう。

 

心と体の陰陽

 心と体は陰陽の関係だと思う。前回のブログで書いたように、心は陰性の力(冷、苦、煩、閑)によって鍛えられ、体は陽性な力(熱、重、動、忙)によって鍛えられる。
 しかし、多くの世界の人たちを見ていると、体を鍛えることが心を鍛え、心を鍛えることが体を鍛えている、という現象がある。
 昔から心身一如とか物心一如、文武両道などといわれる。心と体は相反するものでありながら、根は同一なるものであることを古人は感じていた証拠ではないかと思う。現に私たちの心の状態は肉体の状態にいかに同調していることか。大リーグで二刀流の活躍をしている大谷翔平は、ある記者から尋ねられたという。専属通訳から莫大な詐欺被害に遭い、精神的に参っている時であった。「大谷選手、今シーズンはメンタル的に大変だと思うのですが、どのように乗り切っていこうと考えていますか?」大谷はそれに対して「メンタルは基本的には無いと思っています。メンタルも体次第で、体の調子が良ければ問題ないと思っています」と答えたという。どの世界でも一流を極めた人たちは、心身一如を体現している。
 近年、腸は第二の脳と呼ばれ、腸内環境が脳に決定的な影響を与えていることがわかっている。
 マクロビオティックを実践すると、心と体は切っても切り離せないものだと実におもしろいように体感する。食べた物によって、体は陰に陽に変化するが、心も同じように陰に陽に変化する。
 果物や砂糖の入ったものを食べたら、鼻水が垂れてくるのはマクロビオティックを実践している人は顕著だ。心も湿って、ウジウジと煮え切らず、大事な決断をしなければならない時には、陰性食は要注意である。
 一方で、動物性の肉や卵を食べたら、体と心は極陽性になる。体にはコリや炎症などが起こり、心ではイライラしたり、他者を支配したくなったりする。
 心と体の陰陽を調和させるのに最も簡単な方法が中庸な食べ物を中心に食べることである。それが穀物である。穀物を表す禾(のぎ)に口(くち)と書いて和。私たちは穀物を食べることで自分の内側も外側も和んだ世界を創り出すことができる。東洋の端にある日本ではその穀物がお米(コメ)である。
 では、その穀物を安定的に生み出すにはどのようなことが必要なのであろうか?
 米作りをしていると何が大事であるかはスグにわかる。体力である。体に力が無ければ米作りはできない。とはいえ、自分一人の力では米作りはできない。周りの仲間と協力して田んぼに水を引かなければならない。我田引水では米作りはできない。
 ここにも陰陽がある。自分の体を鍛えることと、周りの人たちと協力していくこと、これも陰陽の調和ではないかと思う。
 桜沢如一は健脚でも知られていたようだ。強靭な精神力は強靭な足腰に宿るように思う。空海も法然も親鸞も、みな健脚だったようだ。キリストだって世界津々浦々を足で巡って健脚だったといわれる。足腰を鍛えることはこの地球の大地に根を降ろすことであり、結果として花を咲かせることなのではないかと思う。
 今、私たちは先人の歩いてきた道にあまりにも安々と乗ってしまっているのではないかと思う。私たちも先人が氣づいた体と心の一体性を足掛かりに生きるとすれば、足腰を鍛えて根を張り巡らさねばならない。今しっかりと根を張らずして10年後、20年後に花を咲かせるなんてことはできるはずがない。
 心身の病気においてもまったく同じことが言える。みずからの足で、みずからの手で病気を治していかなくては、一体ダレが治してくれるというのか?ダレもあなたの代わりに歩くことはできない。ダレもあなたに代わって病を治すことはできない。心身の健康と自由は自らだけが確立する術をもっている。
 コメ不足になりつつある社会にあって、今私たちは生き方を見直す最後の局面に来ているような氣がする。