「大森先生も食べるんだ!」と驚いたという。PU談義(陰陽の話し)がしたくて、アポなしで大森の自宅を訪ねたという男性が少年のような笑顔で語ってくれた。突然の来訪にもかかわらず、大森夫妻に快く受け入れてもらい、夕食までご馳走になり、さらに夜を徹してPU談義をしてくれたという。もう30年も前のことである。
この男性は20代からマクロビオティックに熱中し、空けても暮れても陰陽思考にハマってしまった。桜沢亡き後の日本でのマクロビオティックは、大森が牽引していた。マクロビオティックの世界では大森は仙人のように崇められていた面が少なくなかった。私もその一人だったから、大森に会う前には精進潔斎しなくてはならないと考えて、私も長期の断食をしてから大森に会いに行ったのを想い出した。
私と同じような想いをしていた男性が、大森が食事をするのを見て、思わず「大森先生も食べるんだ」と思ったという。
そんな男性が、年を重ね、仕事をリタイアし、マクロビオティックの世界に恩返しがしたくて、私の元を訪ねてくれた。アポありで!
一宿一飯の恩義というものは大きい!それも憧れの食養の大家ならなおさらだろう。マクロビオティックはそういった人達の想いの積み重ねではないかと思う。
大森が亡くなって20年にもなる。桜沢が亡くなってからは60年だ。その間、どれほど多くの人たちがPU思考で人生を切り開いてきたことか!
恩師の石田英湾も黄泉の国に行って15年になる。ある時、石田の墓参りに行って、石田家の墓石の隣を見たら、なんと数日前に私のところに食養相談に来た家の嫁さんだった。石田先生もあの世に行ってまで、マクロビオティックの普及をしてるんだ!と驚いた。
大森の一宿一飯、徹夜のPU談義に感激した男性が訪ねて来てくれたのも、元を辿れば、先達の方々からの想いではないかと思う。
石塚左玄が遺した食養もそうである。幕末という激動の時代に、西欧の価値観に席巻されつつある世にあって、日本の伝統的な養生法を残さなければならないという想いがマクロビオティックの根底にある。桜沢は石塚左玄を「精神的武士の最後の一人」と称したのは、江戸まで続いた自尊自立の生活法を継承した功績を讃えてのことである。
現代の医学は患者を奴隷にしている。思考を止め、判断を鈍らせ、決断は病院の思いどおり、というのが一般的だ。医学だけの問題ではない。教育が自尊自立をないがしろにしている。
桜沢の生き方は、自学自習、独立独歩、無位無官、というものであったと思う。桜沢はよく「専門化するな!」と多くのところで書き残している。専門家するということは、ある面において奴隷化するということでもある。
マクロビオティックは多面的である。オシャレなマクロビオティックもあれば、そこはかとなく泥臭いマクロビオティックもある。世界を股にかけるマクロビオティックもあれば、土に根ざして土を喰らうマクロビオティックもある。所変われば品変わる、というものである。
マクロビオティックも人から人へ伝わるものである。マクロビオティックを学ぶにはマクロビオティックで生きている人に触れることだと思う。