日本の義務教育では給食が支給されるのだけど、この給食が日本の事情をよく表している。
私は昭和51年生まれで、団塊ジュニアの少し下の世代になり、同級生は多く、給食の時間は賑やかだった。私が小学生の時は土曜日も授業があったが、土曜日は半日で授業が終わったから、給食は月曜から金曜までの週5日だった。その内の2日は小麦のパンで、3日はお米のごはんだった。3日のお米のごはんの日には時々(月に1~2回くらいだったか)うどんやラーメンなど小麦の麺のこともあった。そして、週5日、米だろうが麦だろうが関係なく、必ず牛乳がついた。
わが家の子ども達が学校からもらってくるひと月の給食献立を見ると、この給食の形は令和の今でも同じように続いている。
学校給食はそもそも、戦後の食糧難時代に米国の余剰農産物の格好の消費者として日本の子ども達が標的となった。もちろん、食糧難時代には背に腹は代えられないところはあった。しかし、戦後復興してもなお、日本の伝統食に帰ることはなく、西欧型食生活を普及しているかのような給食が日本の公立学校では続いてきた。
太平洋戦争で日本は無条件降伏という形で戦争を終えた。この無条件降伏が今の今まで続いているような気がしてならない。米国にNOを突き付けた政治家たちが政権で活躍できない様を見ていると、日本の命運は未だ米国に握られているのではないだろうか。
給食の牛乳だけでなく、一般家庭でも牛乳が信仰されたのは、日本の栄養学が米国の肝いりで行われたことの証左である。1954年に制定された酪農振興法も、栄養学的には牛乳や肉食の普及で体育向上を目指したのであるが、政治的には米国の飼料穀物の一大消費を確立するための法整備であった。
戦後の日本人の食生活は官民挙げて、米から麦へ、菜食から肉食への大転換が行われた。日本の学者では「米を喰うとバカになる」とばかりの論陣を張った者まで現れた。人類の歴史の中で、これほど短期間に食生活が変わった国はない。それも、改善ではなく、改悪されたことは何を物語るのであろうか。
減反政策もそういう観点から見ると、米国の市場拡大に即したものであった。令和の米騒動も、結局のところ、コメ価格の上昇からコメ離れが加速した。私たちは知らず知らずのうちに今もまだ伝統的な食生活から遠ざけられているのかもしれない。
戦後の食生活の変化は日本人の体質を根本から変えてしまった。この食生活の変化の裏側には米国の思惑が大きく関わっている。鈴木猛夫著『アメリカの小麦戦略と日本人の食生活』(藤原書店)にはその詳細が述べられている。(つづく)